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たかいし まさと

高石 雅人 さん

卒業年:

1989年

 

現在の勤務先:

エルゼピア・ジャパン株式会社

(オランダの論文出版社)

仕事内容:

研究機関の支援

決意にも似た選択

大宮高校卒業後、アメリカの大学に進学。マイクロソフトに就職し、世界一と言われる環境の中での仕事を経験。現在は、全国の研究機関を訪問し、研究者のサポートを行っている。「人生は選択の連続。選択が重要。」自分のやりたいこと、自分に出来ることは何かを踏まえ、常に決意に似たような選択をしてきた。

当時、高校卒業後に直接アメリカの大学に入学する人は周りにいなかった。それでもアメリカに渡ることを決断し、様々なことを経験する中で、日本では当たり前なことが、実は当たり前ではないことに気付いた。「そのことに日本では気付くことができなかった。」と高石さんは話す。

マイクロソフトは、世界一の会社だという。同僚も待遇も苦労も困難も。特に、同僚には多様な人がいた。「どんな人と仕事をするのかが大切」。同僚からたくさんの刺激を受け、今でも多くの人と交流がある。

高石さんは自分のことを、活躍できていない人を背伸びさせて活躍させることが好きな人間だと分析する。その分析は、研究者をサポートする仕事に就くことを決めるときに役立った。転職することを決めたときには、家族を含め、多くの人が協力してくれた。「困ったときに手を差し伸べてもらえるかは、それまでに自分がどれだけ一生懸命やってきたかに左右される。」学生時代のこと、仕事のこと、そして将来のことを話す高石さんはとても輝いていた。

​2年7組 女子・女子

世界へ羽ばたく

「ユーモアのセンスがあれば、どこへ行っても人気者。日本人はもっと海外に触れるべき。」そう話すのは、アメリカの大学を卒業した高石雅人さん。高校卒業後、知り合いの紹介によりアメリカへ留学した。

小学校六年生の頃に聴き始めた英語のラジオ講座を続けていたため、高校時代の英語の成績は優秀。末っ子であったこともあり、あまり深く考えず、不安を抱くことなくアメリカ行きを決断した。アメリカへ渡ってからも、大学の編入を繰り返し、いろいろなところへ行った。次のステップへどんどん進むというのが彼のスタイルだ。そんな彼でも、大学で苦労したことがあった。それは、日本のレベルを上回る学習内容、そして膨大な量の卒業小論文である。数学の授業に関してはほぼついていけず、小論文を書ききることができないこともあった。

そんな挫折を乗り越え、彼は世界最大手のIT企業に勤務するようになった。周りには面白い仲間ばかり。しかし、世界一ということもあり、困難に直面することも多くあった。そんな頃、息子のサッカーチームに、自分が高校でサッカー部であった頃の感覚を生かしてアドバイスを与え、思わぬ感謝をされたことが、新たな道を開いた。会社にはなかった新鮮な経験に、喜びを感じた。この時からまた、人生に大きな風が吹き始めた。

将来をあまり考えず、目の前のことに向かう姿は、少しの不安感さえ感じさせない。海外へ進出し、様々な空気に触れたからこそ、力強い決断ができる。現在は、会社の他に、サッカーコーチや地域の行事参加など自分の好きなことに楽しく参加している。

​2年4組 女子

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